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風 陶 人 陶 話


織部 2005.1.26.加筆
 
 
今回は、織部に付いて書いてみましょう。織部釉とは、酸化焼成による銅呈色の緑色透明灰釉と規定する事が出来ます。歴史は桃山時代、美濃に登窯が導入されたのに伴って登場した、日本初の高温焼成銅釉です。織部釉は還元が掛かると赤く発色するので、窯変による日本初の高温焼成銅呈色赤色釉(辰砂釉)でもあるのです。高温焼成による銅緑呈色は、大窯(美濃、瀬戸地方の穴窯の最終形態)による黄瀬戸の胆礬が先行しますが、これは銅による下絵染め付けにあたります。織部焼の名前は、戦国大名で千利休の高弟である古田織部 (資料) に因みます。この古田織部の好み、つまり織部好みの焼物が織部焼なのです。


瀬戸黒
瀬戸黒
絵志野
絵志野
絵志野
鼠志野
鼠志野
鼠志野
織部黒
黒織部
黒織部
志野織部

 私の独自の見解ですが、織部焼はまず大きく三つに分類することが出来ると思います。それは、初源織部焼、初期織部焼、後期織部焼です。利休好みでは無く、織部好みで作られた志野瀬戸黒初源織部焼といえます。一般的に古織部と謂われている、織部黒黒織部志野織部鳴海織部青織部、等々は、新たに導入された登窯で焼かれた初期織部焼初期美濃産織部焼(資料)といえます。後期織部焼もまた三つに分類できます。織部様式の唐津焼、備前焼、伊賀焼等が非美濃産織部焼といえます。二つ目は、様式化された後期美濃(瀬戸)産織部焼です。三つ目は、外注による李朝産の御所丸茶碗や中国産の天啓古染付等が外注織部焼です。これらの中で真に格調高い物は、初源初期外注一部非美濃産 の中に限られる様で、それらこそ真正織部焼と言えるのではないでしょうか。

志野織部
志野織部
志野織部
青織部
青織部
青織部
鳴海織部
鳴海織部
鳴海織部
赤織部
赤織部
総織部

 総織部弥七田織部は、他の織部と趣が異なり、織部焼であって織部焼で無いと言えます。総織部は、金属器をなぞったシンプルで上品なデザインで、色違いではありますが、黄瀬戸の後継者以外の何物でも在りません。しかし、まれに織部釉を掛残して窓を作り、織部好みに変えた物も見受けられます。弥七田も、シンプルで繊細なデザインで、いわゆる織部好みとは違っています。

総織部
総織部
弥七田織部
弥七田織部
弥七田織部
絵唐津
絵唐津
絵唐津
絵唐津
高取
伊賀
伊賀
伊賀
備前
美濃唐津
美濃唐津
美濃伊賀
御所丸
黒刷毛
天啓古染付

初源織部焼                       織部好みの瀬戸黒、志野
初期織部焼 初期美濃産織部焼 織部黒、黒織部、志野織部、青織部、鳴海織部、赤織部
総織部、

後期織部焼

非美濃産織部焼

後期美濃(瀬戸)産織部焼
外注織部焼
織部様式の唐津焼、伊賀焼、備前焼等
弥七田織部、様式化した各種織部焼、美濃伊賀、美濃唐津
御所丸茶碗、黒刷毛茶碗、天啓古染付、天啓赤絵

天啓古染付
天啓古染付
天啓古染付
天啓赤絵
天啓赤絵
天啓赤絵
黄瀬戸
黄瀬戸
黄瀬戸
黄瀬戸
黄瀬戸
辻が花
辻が花
乾山焼
乾山焼

絵付けのある織部の意匠には、当時の南蛮貿易で持たらされた染織模様の影響が大きく働いています。縞模様や更紗模様が大胆に取り入れられ、辻が花の陶器版と言えるものです。正に織部の名に符合するではないですか。そのような観点から見ると、趣きは違いますが乾山焼もパターン的には織部焼と言える物が多く有ります。尾形乾山の意匠が、織部焼から来ているのか、染織模様に由来する物なのか興味深いところです。(尾形光琳、乾山兄弟は、京都の大店の呉服屋の息子です。
 斯様に織部焼と謂えば、色や様式が種々在るにもかかわらず、その色の美しさの故か、緑色の釉が織部焼を代表する様に成った物と思われます。織部様式が完成した直後から現代に至るまで、その様式の追従者は枚挙に暇なく居ますが、「ひょうげもの」の部分のみを見て、残念ながら品格薄きものが巷に溢れているのです。品格高きひょうげもの故にオリジナル織部は凄いのです。世に目利きと称する者、名手と謂われる者とて、彼等の論評や製品を見るに外連味のみで、大概が誤解しているとしか思えないのです。
 さて、私の織部釉の仕事ですが、これはいわゆる織部焼ではありません。私はオリジナルの織部焼の素晴らしさを認識しておりますが、物作りとしては私とは質が違います。私はシンプルで外連味の無い物が好みです。私は織部釉そのものが大好きなのです。そこで誰でも無い、私なりの解釈で、織部釉の良さや可能性を、追求しているのです。織部釉は、私にとって織部焼とは別物の、緑色透明灰釉に尽きるのです。


田舎工場の親父、或いは家内制手工業製陶技能技術者宣言

 私は無名の先人達が残した優れた焼物に魅せられ、自分でも素晴らしい焼物を作って暮らせたらと願って、焼物の世界へ分け入った者ですが、前々から気に成る事があります。

 最近「やきもの」と謂う言葉が、増々死語に成りつつあります。そして「陶芸」と謂う言葉が乱用されて氾濫しています。本来やきものと謂うべき場面で陶芸と謂って、それが何か上等な言い回しとでも思っているのでしょうか。マスコミや焼物関係者が乱用するものだから、一般の人達も陶芸と謂う言葉を連発する有り様です。
 今や日本には、陶芸家や陶芸教室、はたまた陶芸店や陶芸なにがしなる物が巷に充ちております。これらの多くは、やきもの屋や、やきもの教室であり、やきもの店や、やきものなにがしと謂われるべき物なのです。陶芸なる言葉は、「陶器の分野で、完成度と精神性の高みへ至った物」を指すものです。陶芸屋、評論屋、浅薄マスコミ、儲け主義商人のお陰で陶芸と謂う言葉が手垢にまみれてしまってみえます。

 私は今だ道半ばですが、実用的で「機能としての美」を備えた「やきもの」を産み出したいと、研鑽を積んでおります。私は「生活に根ざした用具としての工芸」を志していますので、本物の「やきもの屋の親父」だと胸を張って言えるように努力の日々です。より良い物を作りたいだけで、陶芸家もしくは芸術家に成りたいわけでは在りません。正しい見識と検証をもって、結果として、芸術と認められるのならばともかく、いいかげんな理解で、手垢にまみれた陶芸家たちと一緒にされるのは御免です。

 私は、瀬戸本業焼の最後の「叩き上げ職人」達の下で修行した人間ですが、芸術のゲの字も口にする事のない彼等の、それこそ芸術的手練の技を目の当りにしていましたので、技能に関してはコンプレックスから未だに抜け出せずにいます。少年時より修行した彼等に比べれば、長じてから始まった自分の技能の半端な事は、身に滲みていますので、天狗には成りようが無いのが、私のせめてもの取り柄でしょうか。私は正に山家の田舎工場の親父ですから、汗にまみれる事は厭いませんが、手垢にまみれるのは御免です。無欲を心掛け、技能の足りない処は心を砕き、何とか工夫で補っています。少々カッコ付けて家内制手工業製陶技能技術者とでも名乗りましょうか。


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